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フィクションとノンフィクション

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コメント

1. 恩返し

何で誰もコメントしないのだろう
と、不思議に思いました。
はじめましてこんにちわ。私は、たぶん健常者です。パソコンも、ろくに使うことが、出来ません、でも、頑張って書きます。

私の父が、あなたと同じ病気です。よく転び,
よく怒り,よく泣きよく、食べます。
病気になる前から喜怒哀楽が、激しく性格は、そんなに変わっては居ませんが^^;
大好きな魚釣り、大好きな山菜取り大好きなドライブと、かなり数が、減ったようです。

元気なころからわがままで、友達はほとんど居なく家族が居ればそれで、オッケーな人でした。
そんな父が、21年前、私たち娘の反対なんて聞かずに、会社も辞めて、独立しました。

(途中から素行の悪い私は、高校退学になり一緒に働くことになりますが。)

有難い事に、仕事は順調で
夜中まで働いて終わったら配達へ行くと、言った具合に、忙しい時には、朝方まで働きそのまま配達へ行くなどという事も多々ありました。
私の父は、凄いです働き者だし物知りだし、情は熱いし、日本一のパン職人です。取引先の方々からは、すばらしい人だという言葉を何度も聞かされました(その時は、コンナわがままおじさんのどこが・・と、思いましたけど^^;)
娘の私だから言っちゃいますが、本当にまじめで、謙虚で、正直者で日本昔話に、登場しちゃいそうなほどです(^_^)♡

そんな父の心が、やはり心配です。
どうも、あきらめているようなのです。何をかと申しますと、信じることをです。
正直にまじめに純粋で生きていく、そう生きることを何よりも大切にして信じ生きてきた父です
そうやって生きていけば必ずみんなが、幸せになると
思って生きてきた父です。今、父は、コレまでの自分の生き方は全て間違いだった。自分自身の事でサエ
そう思っているように見えて仕方がありません。
母も父も病気をきっかけに、いろんな意味で色々と諦めてしまっています。
私は、それが悔しいです、イロンナ事があったけれどコレまでの父の偉大さを、志を、私は、諦めたくありません。
せっかく神様に自ら頼んで自分として生まれて来れたのに、その時神様は、ちゃんと百点満点にして、送り出してくれたのに。

悔しいので、どうにかして私は父に、あの、頑固な父に大好きな父に、鬱病だった私を助けてくれた父の心に絶対に恩返しします。
ナノで今日、タマタマ見つけたあなたのブログを
『ごめんね』が口癖になった父に紹介しようと思います。パソコンが本当に苦手で最近やっと小さい『っ』が、かけるようになった私が2時間かけて書きました
あなたに逢えて良かったです。いつか父にも逢ってやってください。
✧感謝をこめて✧

2. Re: 恩返し

はじめまして、りえさん
お父さんが私と同じ病気なのですね、おっしゃっていること、その気持ち私なりに理解いたしました

病気が原因でできなくなることが増えていくのも好きなものができなくなり少なくなるのも事実です
でも少なくなったとき残っていることの価値が上がることも事実です

私はカミさんや家族、周囲で助けてくれる人には「ごめんね」ではなく「ありがとう」といいます
いくら言っても足りないくらい感謝の気持ちがあります

できることが一つ減るとそれを周囲の人にお願いしなければならないという現実は動かせません
病気でできなくなることをひとつの特徴として捉えていくこと
普通の人だって喋りづらい人がいたりジャンプができなかったり多かれ少なかれ特徴があります
病気でその特徴がちょっと大きくなったということです
気持ちまで病気にならないことです
仕事に対する責任感は気持ちを強く持つ原動力の一つとなるでしょう
私は幸いパソコンが得意、それは同じ病気だったすでに他界した父からの贈り物
父は病気でも生きていけるツールを与えてくれたのだと思っています
人より早く体が老いるだけです
スピードは患者それぞれに違います
体は不便になっていきますがそれは健常者の方も一緒
病気が教えてくれることはたくさんあります
健常者のままの自分では持つことのできなかった価値観
まじめに生きることの尊さを知ることができます
一生懸命今を生きるという価値観を知ることができます
病気に対してまじめに向き合い続けたとき
その生きる姿勢は周りの人に良い影響を与えてくれます
まわりの人が病気の人に対してできることは
本当にできないことを助けてあげること
遅くてもできることは見守ってあげること
そして一緒に生きていく楽しさを共有することです
お父さんと一緒に生きていることを喜んでいけるといいですね

ただいまコメントを受けつけておりません。

フィクションとノンフィクション

小説などの書籍では分類にも使われるものです

それは立場によっても変わるもの

「1リットルの涙」を例にとるとフィクションではなくノンフィクション

木藤亜也さんという実在した方の思いを込めた日記が元になっているノンフィクション

そして思うことは同じ脊髄小脳変性症のたかのめにとってはノンフィクション

でもそうでない人にとってはフィクションともいえるということです

リアリティは現実が元になっているのでもちろんあるもの

でももし自分が健康体だったら

自分の外にある物語として一過性で終わってしまったでしょう

でも現実は現在進行形なわけです

そう「1リットルの涙」は現実のもの

その生き方に感銘を受ける人は多いでしょう、感動される方も多いでしょう

でもそれは過去の出来事ではありません

脊髄小脳変性症は現実に存在してそれと闘っている人が多くいるという現実

知ってほしいことはすべてを一過性にしてほしくないこと

明日起きたら忘れる

そうできたらどれくらいよいと思ったでしょう

でも起きても体は変わりません

「1リットルの涙」のヒロインである木藤亜也さんも願ったでしょう

脊髄小脳変性症が治ればとそして自分の体が自分の思うように動けばと

でもまだ根治療法はなく体は進行につれて不自由になっていきます

人生はノンフィクションです

でもフィクションのように人生を演出し彩ることはできるでしょう

健常者の方は私などより自由度がとても高いでしょう

自分の人生を自分を主役として生きるために

他人に動かされて気がついたら他人の演出され踊らされた人生にならないために

後悔しないために

人生を決める自由は障害者も健常者も変わりません

納得のいく後悔しない人生をおくること

それが幸せを感じるための礎となるでしょう
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コメント

1. 恩返し

何で誰もコメントしないのだろう
と、不思議に思いました。
はじめましてこんにちわ。私は、たぶん健常者です。パソコンも、ろくに使うことが、出来ません、でも、頑張って書きます。

私の父が、あなたと同じ病気です。よく転び,
よく怒り,よく泣きよく、食べます。
病気になる前から喜怒哀楽が、激しく性格は、そんなに変わっては居ませんが^^;
大好きな魚釣り、大好きな山菜取り大好きなドライブと、かなり数が、減ったようです。

元気なころからわがままで、友達はほとんど居なく家族が居ればそれで、オッケーな人でした。
そんな父が、21年前、私たち娘の反対なんて聞かずに、会社も辞めて、独立しました。

(途中から素行の悪い私は、高校退学になり一緒に働くことになりますが。)

有難い事に、仕事は順調で
夜中まで働いて終わったら配達へ行くと、言った具合に、忙しい時には、朝方まで働きそのまま配達へ行くなどという事も多々ありました。
私の父は、凄いです働き者だし物知りだし、情は熱いし、日本一のパン職人です。取引先の方々からは、すばらしい人だという言葉を何度も聞かされました(その時は、コンナわがままおじさんのどこが・・と、思いましたけど^^;)
娘の私だから言っちゃいますが、本当にまじめで、謙虚で、正直者で日本昔話に、登場しちゃいそうなほどです(^_^)♡

そんな父の心が、やはり心配です。
どうも、あきらめているようなのです。何をかと申しますと、信じることをです。
正直にまじめに純粋で生きていく、そう生きることを何よりも大切にして信じ生きてきた父です
そうやって生きていけば必ずみんなが、幸せになると
思って生きてきた父です。今、父は、コレまでの自分の生き方は全て間違いだった。自分自身の事でサエ
そう思っているように見えて仕方がありません。
母も父も病気をきっかけに、いろんな意味で色々と諦めてしまっています。
私は、それが悔しいです、イロンナ事があったけれどコレまでの父の偉大さを、志を、私は、諦めたくありません。
せっかく神様に自ら頼んで自分として生まれて来れたのに、その時神様は、ちゃんと百点満点にして、送り出してくれたのに。

悔しいので、どうにかして私は父に、あの、頑固な父に大好きな父に、鬱病だった私を助けてくれた父の心に絶対に恩返しします。
ナノで今日、タマタマ見つけたあなたのブログを
『ごめんね』が口癖になった父に紹介しようと思います。パソコンが本当に苦手で最近やっと小さい『っ』が、かけるようになった私が2時間かけて書きました
あなたに逢えて良かったです。いつか父にも逢ってやってください。
✧感謝をこめて✧

2. Re: 恩返し

はじめまして、りえさん
お父さんが私と同じ病気なのですね、おっしゃっていること、その気持ち私なりに理解いたしました

病気が原因でできなくなることが増えていくのも好きなものができなくなり少なくなるのも事実です
でも少なくなったとき残っていることの価値が上がることも事実です

私はカミさんや家族、周囲で助けてくれる人には「ごめんね」ではなく「ありがとう」といいます
いくら言っても足りないくらい感謝の気持ちがあります

できることが一つ減るとそれを周囲の人にお願いしなければならないという現実は動かせません
病気でできなくなることをひとつの特徴として捉えていくこと
普通の人だって喋りづらい人がいたりジャンプができなかったり多かれ少なかれ特徴があります
病気でその特徴がちょっと大きくなったということです
気持ちまで病気にならないことです
仕事に対する責任感は気持ちを強く持つ原動力の一つとなるでしょう
私は幸いパソコンが得意、それは同じ病気だったすでに他界した父からの贈り物
父は病気でも生きていけるツールを与えてくれたのだと思っています
人より早く体が老いるだけです
スピードは患者それぞれに違います
体は不便になっていきますがそれは健常者の方も一緒
病気が教えてくれることはたくさんあります
健常者のままの自分では持つことのできなかった価値観
まじめに生きることの尊さを知ることができます
一生懸命今を生きるという価値観を知ることができます
病気に対してまじめに向き合い続けたとき
その生きる姿勢は周りの人に良い影響を与えてくれます
まわりの人が病気の人に対してできることは
本当にできないことを助けてあげること
遅くてもできることは見守ってあげること
そして一緒に生きていく楽しさを共有することです
お父さんと一緒に生きていることを喜んでいけるといいですね